
「地域社会統合ケア支援法」が2026年に本格施行されて以降、地域から出てきた要求は、サービスの量を増やすことよりも医療をどう結びつけるかに集まった。5月18日から22日までの5日間で、仁川では民間ネットワークが発足し、京畿道驪州では退院患者を対象とした機関間の協定が結ばれた。慶尚南道では看護の職域が地方選挙の候補とケア政策をめぐって向き合い、慶州市人口政策課は金泉のケア現場を訪ねて運営方式を調べた。
仁川の動きが最も具体的だ。仁川地域統合ケアネットワークは5月20日、済物浦スマートタウンにある仁川社会的経済支援センターで発足を告げた。発足式に集まった人員は70余名、所属する団体と機関は40余りに上る。保健医療と住居、社会連帯経済、日常ケア、村共同体、そして協力機関まで6つの分野が一つのテーブルに着いた。
彼らが示した10大政策課題の一覧を見渡すと、医療が随所に埋め込まれている。複数の専門職域が共に参加するチームが調査と判定を担うようにしようという提案、そして「仁川型かかりつけ医制度」を施行しようという要求が前の方に置かれた。邑面洞ごとに統合ケア支援センターを置き、病院に行かなくても自宅でケアが完結する在宅完結型の体系をつくろうという項目も入った。ケアマネジャーと健康ケア人材を育てる養成体系、統合ケア共同住宅である「中間の家」の試験開設、敬老堂をケアの拠点に変える案まで続く。
同じ週、驪州では病院の扉を出る瞬間に焦点を当てた協定が出た。驪州市老人福祉館と神勒老人福祉センター、イ・ジニ幸福分かち合い訪問療養センター、チェウム在宅福祉センターなど4か所が5月18日、退院患者短期集中サービスを共に行うことにした。日常生活を手助けし、家事と心を共に支え、病院や外出の予定に同行し、地域にある資源とつないでやる内容を盛り込んだ。
退院直後の数週間は回復と再入院が分かれる時期だ。この区間に人が付かなければ、手術は成功しても生活は崩れる。驪州の協定が照準を合わせた地点もそこだ。対象人員と運営期間、財源配分は協定文の外の課題として残っている。
ケアと医療を一つのかたまりに束ねる仕事に長い時間がかかるという点は、他国の経験が示している。英国は1942年のベヴァリッジ報告を踏まえ1944年に社会保障庁を設けた後、1946年に国民保険法と国民保健サービス法、1948年に国民産業災害法と国民扶助法を順に作った。それでも2011年に3万8719床を運営していた最大の療養施設事業者サザンクロスが破綻し、英国は2012年の保健・社会的ケア法と2014年のケア法を通じて、中央のCQCが医療と社会的ケアを共に監督し、地方政府が地域の市場を見守る形に組み直した。
日本は2003年の高齢者介護研究会報告書で地域包括ケアシステムという言葉を初めて持ち出した。概念が法へ移るまでには10年以上かかり、2014年に医療介護総合確保推進法を作りながら医療法を含む19の法律を一度に手直しした。医療と介護、予防、住居、生活支援を一つの体系に束ねるには、複数の法律を同時に触らなければならなかったという意味だ。一つの省庁の事業一つでできることではなかったという記録でもある。
地方選挙を前にケアの公約が相次ぐ時期だ。仁川ネットワークは発足式の後、条例改正と政策対応の連帯、官民協力を続けていくとした。仁川市が10大課題をどこまで受け入れるか、「仁川型かかりつけ医制度」がどの医療機関とどのような条件で回っていくかは決まっていない。その答えがどれだけ早く出るかによって、統合ケア初年度の姿が変わる。
退院手続きを終えた高齢者が自宅の玄関に着いたとき、扉を開けてくれる人がいるかどうか。仁川の40余りの団体と驪州の4機関がそれぞれの方式で答えようとしているのは、結局その場面だ。条例と予算はその後に続く順序だ。
