
国立中央博物館が9月7日に結論を出した。愛国志士の書として紹介していた遺墨「一飯是国恩」(一飯是國恩)は、親日反民族行為者の朴重陽(1874-1959)が書いたものである。博物館は基本的な責務が不十分だったという趣旨で謝罪した。
遺墨は当初、愛国志士の朴元根の書として掲げられた。同姓同名の別人だった。名前が同じだという事実一つが、筆跡の来歴をまるごと覆した。漢字五文字、一膳の飯がそのまま国の恩であるという意味を込めたこの書は、「私たちの食卓」特別展に置かれた。
書いた手が誰のものだったかは紙に残らない。紙には筆画の太さとにじみ、そしてその横に人が書いて付けた名札が残る。
博物館の遺物の身元は、たいていその名札から始まる。観覧客はガラスの陳列ケースをのぞき込むとき、筆画から見ることはない。名前を読み、その名前が語る物語を通ったあとに筆画を見る。
愛国志士という四文字が付いたときと、朴重陽という名前が付いたときとで、同じ文章はまったく違って読まれる。筆画は一つも変わっていない。
愛国志士の遺族は展示を見に来た。何を見たのか、どんな言葉を口にしたのかまでは明らかにされていない。誤って付けられた名札の前に立った人がいたという事実だけでも、この件は十分に深刻だ。
今回の件で遺物の検証体制が問題になった。国を代表する博物館が、人物の同一性を確認する段階でふるい落とせなかった。検証は遺物を購入または寄贈で受け入れる時点、登録する時点、展示に出す時点ごとに繰り返し行われるべき作業である。どの地点で名前が滑ったのかは、博物館が明らかにすべき分として残った。
保存と活用は互いにぶつかる。遺物を倉庫に置いておけば名札が間違うこともない。取り出して物語を付けた瞬間に危険が生じる。それでも博物館が遺物を取り出す理由は、人々がそれを見て何かを記憶するからであり、そうして記憶がつくられる場所であるからこそ、誤った名前一つが個人の生涯全体を覆すこともある。
博物館が今回出したのは訂正と謝罪だ。続いて出てくるべきなのは、同じ種類の誤りが他の陳列ケースにも残っているのかという問いへの答えだ。名前が同じ人物、記録が乏しい時期の書画は、この遺墨一つで終わらない。
ソウル龍山の国立中央博物館は常設展示を無料で開いている。次にそこへ行くなら、遺物より名札をもう一度読んでみることを勧める。誰が書いたと記されているのか、その表記をどんな根拠で確定したのか。陳列ケースの中の品物は沈黙し、説明はすべてその横の小さな紙が引き受ける。
