
晴れた日の正午、太陽光パネルは最もよく稼働する。ところがまさにその時間に一部の発電所は出力を下げるよう指示を受ける。作れる電気を作れなくする決定だ。設備は十分あるのに、その電気を受け入れて運び、値をつけるルールが追いついていないために起きることだ。
今のエネルギー議論は三つの筋が一度に熱を帯びている。設備をどれだけ増やすのか、電気料金の体系をどう変えるのか、発電所と住宅地の間の距離規制を緩和するのか。三つの議論はそれぞれの会議室で、それぞれ異なる歩幅で進んでいる。
再生可能エネルギーの目標値をいくら高めても、電力市場と系統運用のルールをあわせて直さなければ、増えるのは設備の台数だけで、転換は失敗する。手を入れる対象は制度だ。
反論は強い。まず建てるべきだというものだ。設備が敷かれてこそ問題も見えてくるし、制度の設計は時間が長くかかるのでまず容量から確保しようという理屈には現実的な力がある。実際に設備なしには何も始まらない。
それでも順序を問い直すべき理由がある。制度が遅れれば建てた設備が遊ぶことになり、遊ぶことになった設備は次の投資を阻む。発電事業者はいつ出力を下げるよう連絡を受けるか分からない条件で収益を計算しなければならない。不確実性が大きいところには資本が来ず、資本が来なければ目標値は文書にだけ残る。

ここで誰かを責めることはない。系統運用者は停電を防がなければならず、発電事業者は投資金を回収しなければならず、地域住民は自分の町に建つ施設を知る権利がある。それぞれの選択はそれぞれの位置で合理的だ。食い違っているのは、これらを一つの土俵に載せられなかった設計の側だ。
だから今が機会だ。設備の拡大と料金の改編と立地規制の議論が同時に開かれる時期は頻繁には来ない。三つの議論を別々に結論づければ互いを無効にし、ともに設計すれば互いを支える。どちらも結論が出る前なので、今問いただすことができる。
誇張は必要ない。再生可能エネルギーが増えたことは明らかな成果であり、この問題は世界が終わったからではなく成長が速くて生じたものだ。その代わり、これから出てくる計画文書を読むときに一つだけ確かめてみよう。
何ギガワットを建てるという目標値の横に、その電気をいつどんな値で受け入れるというルールがあわせて書かれているか。その二行がともにある計画だけが実際に回る。
