
退院日を告げられた高齢者が家に帰るときに必要なものは、ケアという言葉よりはるかに具体的だ。敷居をまたがせてくれる手すり、一日一食のご飯、薬袋を開けて確認してくれる手。統合ケアはこの三つを一度の連絡でつないでやるという約束から出発した。
約束が守られたかどうかは条例の文言では確認できない。初回訪問が何日で行われたかで明らかになる。
今週、全国が同じ扉を開いた。高陽と堤川、仁川永宗、光州光山区、大邱寿城区が統合ケアの施行を知らせた。当該地域に住む人は今週から各自治体の窓口で申請手続きを踏むことができる。京畿道は事業同士の重複と仕切りを自ら問題として持ち出した。
5カ所が一週間で扉を開いたのは明らかな成果だ。
しかし市民が実感するのは、制度が何カ所で始動したかではない。申請書を出した後に実際に誰かが戸をたたくまでにかかった日数だ。機関ごとに自分の分だけ処理して残りを送り返すやり方が残っていれば、統合は書類の上でだけ起こる。仕切りを取り払えなかったケアは名前だけの統合ケアだ。
反論は十分に強い。始動の初年度に完成度を求めるのは無理だという話だ。専従人員を配置し、病院と福祉館と訪問看護を一つの表に載せるだけでも数カ月かかる。初期のぎくしゃくをすぐに失敗と呼べば、どの自治体も新しい事業に手をつけないだろう。
正しい指摘だ。だからむしろ今でなければならない。初年度に固まった業務慣行は翌年に戻すのがはるかに難しい。
部署同士で互いに回していた書類が一年たまれば、その地域ではそのやり方が当然の手続きとして固まる。高陽であれ寿城区であれ、二年目に直す費用は初年度より常に高い。
ケアを受ける側はこの事情を誰よりもよく知っている。いくつもの窓口を回って同じ内容を何度も説明してきた人たちであり、話がどこで途切れるのかを自分で確かめた人たちだ。この人たちを助けの受け手としてだけ置いておく限り、仕切りは目につかない。詰まった箇所を話す通路を開けておくほうが、どんな点検表よりも正確だ。
京畿道が重複と仕切りを自ら指摘したのはそれゆえ注目に値する。自分の事業の弱いところを公に名指しした所は、それを測る指標も作ることになる。高陽と堤川、永宗、光山区、寿城区でも似た一覧が出てくることがある。
年末になれば各地域は何人を連携したかを発表するだろう。その発表に申請から初回サービスまでにかかった平均日数が一行入っているかを見ればいい。
