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『ケアと作業』、愛と呼ぶ前に時間を数える

배진경·公開 2026-05-10 14:26 KST
家庭の月、ケアを労働として読み直す12の記録
『ケアと作業』は、ケアする時間と働く時間が重なる瞬間を見つめる
『ケアと作業』は、ケアする時間と働く時間が重なる瞬間を見つめる / ⓒ ブレスジャーナル

ケアを1時間すれば何が減るのか。こうした計算は、家庭の月になるととりわけ持ち出しにくくなる。5月の言葉は感謝と愛に傾いており、その中で時間を数える言葉は薄情に聞こえる。『ケアと作業』(チョン・ソギョン著、トルゴレ、2023)は、その薄情な計算をあえてやってみようと提案する本だ。

本はケアと仕事をともに扱う。タイトルの二つの単語が接続詞一つでつながっているという事実が、本の姿勢をそのまま示している。ケアが仕事を妨げることも、仕事がケアを押しのけることもなく、二つが一人の一日の中で同時に回っていくという前提から出発する。2023年に出たこの本は2冊セットで組まれており、1冊を閉じたあとに再び読み継ぐ呼吸を求める。

読まれる感触は落ち着いている。声を高めて制度を糾弾することも、ケアする人を聖人として祭り上げることもない。代わりに一日をどう割いて使ったのか、その分割が仕事にどんな痕跡を残したのかを淡々と書く。感情を前面に出さないので、かえって長く残る類いの文章だ。

ブレスジャーナルがこの本を5月に取り上げる理由ははっきりしている。ケアは福祉の問題であり労働の問題であり、同時に教育の問題だ。子どもを育てる時間、病気の家族のそばに座っている時間は家計簿に記録されないが、誰かの経歴からは確実に差し引かれる。愛という名がつく瞬間、その時間には値がつけられない。

この本の力は、その値のない時間を再び時間へ戻すところにある。ケアする人を助けが必要な対象として描かず、一日を設計し調整する人として見る。ケアをしながら仕事を続けるには何が必要なのか、その必要が個人の意志で埋められているのかを問わせる。育児休業やケア休暇のような制度を論じるとき、いつも後回しにされる問いでもある。

ケアと仕事は順番には来ず、同じ時間帯に重なる
ケアと仕事は順番には来ず、同じ時間帯に重なる / 表紙 · トルゴレ

薄くなる点もある。個人の記録が中心に立っているだけに、制度がどこでどう途切れるのかについての分析は読者の取り分として残る。ケアを引き受ける余力そのものが異なる人々、たとえば交代勤務者やフリーランス、単身世帯の条件はこの本の外にある。私的な経験を正直に書く本の美徳と、その経験が代表できない範囲はともにやって来る。

それでもこの本がケア関連の書籍の中で持つ違いははっきりしている。ケアを美談としても悲劇としても処理せず、働く人の条件として扱うという点だ。ケアを扱った多くの本が感情の言葉から出発するとき、この本は日程表から出発する。その出発点の違いが最後まで保たれる。

ケアのために仕事を減らしたり辞めたりした人に勧める。そばでその決定を見守った人、ケア政策を設計する仕事を任された人にも同じだ。前の二人には自分の時間を説明する言葉ができ、後の人には統計表の後ろにどんな一日があるのかが見える。

家庭の月が過ぎればカーネーションは枯れるが、ケアの時間割は6月もそのままだ。変わりつつあるものが一つあるとすれば、ケアを愛の証明の代わりに時間の配分として語る人が増えているという点だ。この本はその言葉を先に持ち出した側に立っている。

ケアを愛の物語として読みたい人には、この本は居心地が悪いかもしれない。ここには献身をたたえる文章も、涙で締めくくられる場面もない。代わりに何時に何をし、そのために何ができなかったのかが記録され続ける。その乾いた感触に耐えるつもりがなければ、本を閉じてもいい。

ペ・ジンギョン記者 · Breath.Culture

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