
濡れた竹の間から低いうなり声が聞こえてくる。一人の女性が身を低くして同じ声をまねる。威嚇する気はないという合図であり、ルワンダの山地林のゴリラはその人の気配を受け入れ始めた。
ダイアン・フォッシー(Dian Fossey)は1932年1月16日、サンフランシスコで生まれた。サンノゼ州立大学で作業療法を学んで1954年に学士号を得て、ケンタッキー州ルイビルの小児病院で働いた。古人類学者ルイス・リーキーの勧めで1966年にアフリカへ向かい、1985年12月26日にカリソケ研究所の小屋で殺害されるまで18年間マウンテンゴリラを観察した。世を去る2年前にはカリソケでの研究をまとめた本を出し、その記録は後に映画にもなった。
Q1. ルイビルの小児病院の作業療法士からゴリラ研究者になられました。何がその転換を支えたのでしょうか。
19歳の夏をモンタナの牧場で過ごしてからは、動物のそばを離れては耐えがたくなりました。継父は私が経営を学ぶことを望み、私が動物の道へ進むと言うと家からの支援は途絶えました。百貨店の店員、実験室の助手、工場の機械工の仕事で自ら稼いで学校に通いました。
カリフォルニア大学デービス校で獣医学の予科課程を履修しましたが、化学と物理でつまずいて2年生を通過できませんでした。サンノゼ州立大学に移って作業療法を修了し、結核患者と子どもたちの世話をしました。乗馬で賞を受けたおかげで1955年にケンタッキーへ行き、翌年ルイビルの小児病院で働くことになりました。
Q2. 初期にはゴリラの群れに近づくこともできませんでした。その壁をどのように越えられたのでしょうか。
人間の側の習慣を捨てるところから出発しました。まっすぐ立ったまま近づくと、ゴリラはそれを威嚇と読み取ります。そこで彼らがする行動をまね、低くうなり、身をかがめました。すると距離が縮まり始めました。
研究の条件は簡素でした。山中の小屋で眠り、毎日同じ時刻に同じ斜面を登りました。特別な装備がなくても、その繰り返しが資料を作りました。

Q3. 生息地観光に反対され、直接的なやり方のために緊張が高まったという評価を受けています。その批判をどう受け止めておられますか。
私が穏やかな人間ではなかったという指摘は事実です。密猟の道具を見つけ出して壊し、人々と正面からぶつかりました。私のやり方は対立を大きくし、その結果も私が引き受けました。
私は積極的保全という言葉を使いました。巡回し、わなを取り除き、現場で食い止める仕事です。とはいえ私に反対した人たちが皆悪人だったわけではありません。山のふもとで食べていかなければならない人たちや、観光収入が地域の助けになると信じる人たちがいましたが、個体群があの時に崩れれば元に戻す道はないと考えていたので、妥協の幅は狭いものでした。
Q4. 1977年にディジットが死んでから研究時間を減らし、保護活動に移られました。その転換は悲しみから出たものですか。
ディジットは私が最も大切にした個体でした。彼が死に、深く観察していた何頭かが相次いで死にました。その時期から私は記録を埋める仕事よりも、生きている個体を守る仕事に時間をより多く使いました。
回復という言葉は私にはなじみません。その代わりに私はカリソケにゴリラの墓地を作り、死んだ個体たちを埋めました。感傷的だと言われましたが、名前をつけて埋める行いは私の研究の一部でした。名前のない個体は統計になり、統計は簡単に消されます。
Q5. マウンテンゴリラが2000年を越えられないだろうとご覧になっていました。それでも毎日同じ斜面を登った理由は何でしょうか。
その種が消えるだろうと見ていましたが、それが観察をやめる理由にはなりませんでした。結果としてその研究と保護活動が、減少傾向を遅らせるのに役立ちました。

私が長く取り組んだのは、ゴリラが考える存在であるという事実を人々に認めさせることでした。ゴリラは国の境を知らずに歩き回ります。地球の問題もたいていそうです。一つの国の中だけでうまく管理しても答えは出ず、一つの山を分け合って使う人々が同じ帳簿をのぞき込まなければなりません。
Q6. 2026年には生息地の縮小と気候変動がともに種を圧迫しています。先生がぶつかった密猟の問題と根が同じだとお考えですか。
わなは目に見えて手で取り除けますが、山の気温が少しずつ上がることは手で取り除けません。今の人たちは私よりも難しい仕事をしていると思います。
それでも絶望を勧めたくはありません。私の時代にも個体群は底に近く、その状態でも傾向が変わった例が出ました。保全を宣伝文句として使うことだけは警戒してください。山に何人が入り、何を持って出たのかを数えなければ、良い言葉はいくらでも作られます。
Q7. カリソケで18年を過ごした者として、この仕事を始めようとする若い研究者に何を渡されますか。
大した装備も、大した決意も必要ありません。一頭を決めて名前をつけ、その個体が今日何を食べ、誰と一緒にいたかを書いてください。その紙が十数年積み重なれば、それが根拠になります。
雨の朝、濡れた竹の間に座っていると、黒い手が一つゆっくり近づいてきます。私はその手に向かって何もせずに待ちました。何をすればよいか分からないという方には、近くの森でも河川でも一カ所を決めて、季節ごとに同じ場所で何が変わったかを書き留めておくようお勧めします。その記録を持つ人が増えれば、山は少し寂しさが減ります。
この文章は実際の対談ではありません。ダイアン・フォッシーの生涯と著作、残された記録をもとにブレスジャーナルが再構成した仮想インタビューです。質問は記者が作り、答えは彼女が残した文章と足跡から引き出しました。
