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消えた九層木塔、322点の記憶となって戻る

김범수·公開 2026-06-12 13:05 KST
皇龍寺址発掘半世紀、国立慶州博物館の特別展が本日開幕
塔が消えた場所には礎石の配列だけが残った
塔が消えた場所には礎石の配列だけが残った / ⓒ ブレスジャーナル

国立慶州博物館が皇龍寺址発掘調査50周年を記念する特別展「皇龍寺、仏の舎利を祀る」を12日に開幕する。出品遺物は117件322点で、大半は土の中に埋もれていた舎利荘厳具だ。展示は特別展示館で10月11日まで続く。博物館が開催の事実を知らせたのは前日の11日だった。

皇龍寺には九層木塔があった。いま慶州九黄洞の野原に残っているのは、その塔を支えていた心礎石と蓋石、そして礎石の配列だけだ。木材は残らず、瓦も破片となって散らばった。塔がどれほど高くそびえていたかは、石が担っていた荷重の中心と、その石の真ん中に彫られた四角い穴が証言する。

その穴が舎利孔だ。発掘当時に心礎石の下部から出た出土品と、舎利孔から引き上げられた遺物が今回の展示の骨格をなす。宝物に指定された「皇龍寺刹柱本記」金銅舎利函もそのひとつだ。

金銅は歳月に耐えるが、きれいに耐えはしない。表面には錆が生じ、薄い板は割れ、文字は錆の層の下に沈む。

博物館は数年にわたる保存処理を経て、舎利孔全体が金銅板で荘厳された舎利函だったという事実を確認した。石を彫り抜いた空間にとどまらず、内側の壁面まで金銅で包んだひとつの部屋だったという意味だ。塔が消えた後、千年以上も土に押さえつけられていた形が再び読み取られた。遺物を拭き取る作業が、そのまま消えた建築を復元する作業になる。

より長く引きつけるのは名前だ。刹柱本記の舎利函の破片から、金忠(金忠)と連長(連長)をはじめとする職人4人の名前が新たに判読された。塔を建てた王と僧侶の名前は長く記録されてきたが、金銅板を叩いて文字を刻んだ手の持ち主はおおむね消されたままだった。薄い金属の上に自らの名前を残した人々が破片の状態で見つかり、半世紀後になってようやく読まれた。

遺物を出土したその場所に置けば誰も見ることができず、取り出してくれば脈絡が断たれる。今回の展示は後者を選んだ。心礎石と蓋石、下部出土品を一緒に見せる構成は、その選択に伴う損失を少しでも埋めようとする試みと読める。

展示期間には「キュレーターとの対話」や「わが家族の皇龍寺おでかけ」といった市民参加プログラムも用意される。詳しい日程は調整中だ。博物館を率いる尹相悳館長の体制で発掘半世紀を締めくくる性格の企画であるだけに、遺物の陳列を超えた解釈の幅がどこまで開かれるかが見どころだ。

展示場を出て車で十数分行けば皇龍寺址に着く。皇龍寺址には心礎石と蓋石、礎石が残っている。10月11日まで、二つの場所を一日でつなぐ歩みが可能だ。

キム・ボムス記者 · Breath.Culture

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