
マンション12階のベランダの手すりにパネルが1枚掛かっている。夏の冷房代が怖くて設置したという住人は、1カ月に数千ウォン減ったと話す。大した発電所ではない。しかしその家で電気は、初めて買って使うものから自分でつくるものに変わった。
政府が初の再生可能エネルギー基本計画を打ち出した。2030年までに再生可能エネルギー設備100ギガワット、268兆ウォン規模の投資が骨格だ。その中に目立たない項目が一つある。200万世帯のベランダ太陽光だ。
この計画を評価する物差しは、100ギガワットを満たすかどうかではない。転換の利益をどれだけ多くの人が自分の取り分として感じられるようにするかだ。目標値は政府が立てるが、転換を支える力は結局、その利益を分け合った人々から出てくる。
足かせになるのはいつも二つだった。電気を運ぶ系統が足りず、設備が入る地域の同意を得るのが難しい。二つのボトルネックはいずれも技術や予算だけでは解けない。送電線を通さなければならない村、太陽光団地と向き合わなければならない田畑に暮らす人々の心がかかっているからだ。
反対意見ははっきりしており、根拠もある。ベランダ太陽光200万世帯をすべて満たしても、設備目標全体に占める割合は大きくない。系統拡充という巨大な工事に比べれば、小型発電は象徴にとどまるという指摘だ。国家電力網をベランダで支えることはできないという言葉も事実に近い。
それでもこの項目が重要な理由は、発電量ではない別のところにある。自分の家で電気をつくってみた人は、送電線と発電所を他人事とは考えない。転換の費用を誰がなぜ払うのかを感覚で知る市民が増えてこそ、受容性の議論が対立から協議に変わる。地域住民が利益を分け合う発電モデルも、この感覚の上でだけ説得力を得る。
同時に警戒すべきことがある。ベランダのパネル1枚で気候危機が解けるという話は誇張であり、小型設備を広報用に掲げたまま系統投資を先送りするのも危険だ。100ギガワットと200万世帯は二者択一の問題ではない。二つは互いを支える。
自治体ごとにベランダ太陽光の補助事業が開かれている。夏が来る前に、住んでいる地域の支援公告を一度探してみることから始める価値がある。パネル1枚が世の中を変えることはないだろうが、その1枚を取り付けた人は、次に開かれる系統説明会で違う表情で座っているはずだ。
