
2026年3月28日午前5時30分ごろ、ソウルの景福宮の資善堂前にある三備門(三備門)付近で火が出た。宮内を巡回していた夜間の安全要員が煙を見つけ、消火器と消火栓で自ら消し止め、火は午前5時50分ごろ収まった。三備門の脇にある小門の補助柱1カ所と信枋木(信枋木)の一部が損傷し、けが人はいなかった。
信枋木は扉が開閉する軸を支える門柱の下側の木だ。手のひらほどの面積が黒く焦げると、その木は元の木目を取り戻せない。数百年を耐えた松の表面が乾いた未明の空気の中で20分で性質を変えたわけで、木造建築を扱う人たちが火を恐れる理由はここにある。
景福宮は朝鮮王朝の法宮だ。1963年に史跡に指定され、火が出た場所のすぐ前にある資善堂は世子と世子嬪が過ごした建物で、1999年に復元された。つまり今回焦げた木は、王朝の時間と復元の時間が重なって立つ区域に属していた。
消火にかかった時間についての説明は、20分ほど、10分ほど、15分の間で少しずつ食い違う。火災の原因をめぐっても説明が分かれる。国家遺産庁は消防など関係機関の調査の結果、自然発火と推定されると明らかにし、火災当時に現場周辺で人の動きは確認されなかったとした。一方、消防の側からは合同鑑識を進めながら自然発火とは見にくいという趣旨の話が出た。
火が消えた後の時間も静かではなかった。景福宮管理所は自力での消火を終えた後、消防当局に通報した。午前9時の開館に合わせて三備門付近には目隠しが立てられ、観覧の動線が調整され、景福宮はその日通常どおり門を開けた。許敏(ホ・ミン)国家遺産庁長が当日に現場を訪れ、状況を点検した。
告知は遅れた。国家遺産庁は火が出てから7時間が過ぎた後にようやく出入り記者団に文字メッセージで状況を知らせ、宮陵遺跡本部と景福宮のホームページ、ソーシャルネットワークのアカウントには火災の事実を載せなかった。その間、観覧客は目隠しの前を通りながら補修工事だろうと思っていただろう。保存と活用をともに担わなければならない機関が活用の側のリズムを乱すまいとするとき、情報はこのように遅れて届く。
景福宮が受け止める人の数は小さくない。宮陵遺跡本部の集計で2025年の景福宮の観覧客は688万6650人、年間の宮・陵の観覧客の38.7%だった。国家遺産庁は防弾少年団(BTS)の公演に備えて3月初めから警備の人員を増やして運営してきており、主要な宮殿と王陵の安全状況を点検すると明らかにした。今回の未明に煙を最初に見つけた人も、そうして広げておいた巡回区域を回っていた安全要員だった。
火災当日、首都圏と江原、大田など大部分の地域には乾燥注意報が出ていた。景福宮の火災の原因をその気象条件に求める説明は出なかったが、春の乾いた風が木造の遺産にとってどんな季節なのかは、宮を管理してきた人たちが毎年経験しているところだ。三備門一帯は補修の措置が進んでおり、鑑識の結論は出ていない。
目隠しが外されれば、その小門の柱を直接見ることができる。景福宮の勤政殿と慶会楼につながる観覧路から東に少し入ると資善堂があり、その前が今回火がついた門だ。新たにはめ込んだ木と元からあった木の色が違えば、600年の宮殿が実際にどんな材料で耐えてきたのか、指先を触れずとも見分けられる。
