
国家遺産庁が寺院の便所3カ所を国家民俗文化遺産に指定予告した。順天・仙巌寺の厠、寧越・報徳寺の解憂所、陜川・海印寺国一庵の解憂所である。4日に発表された。
予告期間は30日で、各界の意見を集めた後、国家遺産委員会の審議で指定の可否が決まる。審議は9月に予定されている。
順天市(市長ソン・フンモ)は仙巌寺の厠の予告の事実を5日に伝えた。
報徳寺の解憂所は1882年に寺の入り口に建てられた。朝鮮・高宗の時代である。国一庵の解憂所は1910年に建立された。3棟の建立時期は、屋根の棟木の下に残る上棟の墨書で確認された。
仙巌寺の厠は年代が一重ではない。一柱門の重修記録である「曹渓門重創上梁文」には、1540年に「清厠」という名で初めて建てたという内容が残っている。これに基づき、しばしば500年の歴史として紹介される。
一方、国家遺産庁は1928年の修理上棟の墨書と寺跡の記録を総合し、建立時期を1920年代以前と見た。創建の記憶と今立っている木材の年齢が同じことを語っていない。
1597年の慶長の役(丁酉再乱)の際、仙巌寺は全焼した。厠は一柱門とともに火を免れた。1928年の解体修理で今日の姿となり、1996年に再び手を入れた。
建物は丁字形の平面で、正面6間、側面4間である。便所一つが6間を占める。
3カ所すべてが土地の高低をそのまま使った。正面から見ると平屋で、裏に回ると重層の楼閣になる。下へ落とし、下から取り除く流れを地形が代わりに作ってくれる。
仙巌寺の厠は、使う床を地面より持ち上げて臭いを減らした。扉は付けなかった。胸の高さの仕切りだけを置き、壁には連子窓を設けて光と風が通るようにした。
糞尿は籾殻と落ち葉に混ぜて発酵させた後、畑の肥やしとして戻る。この循環が今も維持されているという点が指定理由に盛り込まれた。建立時期が明確で、最初に据えた場所と元の形を守り、今も使われているという点が併せて認められた。毎日扉を開ける建物を遺産と呼んだ決定である。
禅宗寺院は解憂所を七堂伽藍の一つである東司に数えてきた。大雄殿と同じ目録に便所が入っていたという意味。名前も何度か変わった。
仙巌寺では清厠、浄廊、大便所、ティッカン(裏の間)と呼ばれた。「解憂所」は通度寺の鏡峰(1892~1982)僧が初めて使い、1998年にヨーグルトの広告に出て広く広まった。
厠の入り口に掛かった「ティッカン」の扁額は、擎雲元奇(1852~1936)僧が書いた「大便所 ティッカン」の扁額からハングルだけを取り、近年新しく作ったものである。建築家イ・スグンはここを韓国で最も素晴らしい便所に挙げた。童話作家チョン・チェボンは大韓民国第一の厠と記した。
保存と使用は互いを押しのける。遺産になれば手を入れにくくなり、手を入れられなければ実際に使いにくくなる。3カ所の解憂所の価値が「今も使われている」ことにある以上、審議以降の管理の方法がその価値を守ることも消すこともあり得る。扉のない仕切りと連子窓は、人が出入りする時にだけ本来の機能を果たす。
意見の収集は予告期間の30日間続く。9月の審議を過ぎれば、3棟の名前は国家民俗文化遺産の目録に載る。順天・曹渓山のふもと、一柱門を過ぎて寺の裏手へもう少し歩くと、6間の建物が現れる。木の連子窓の隙間を出入りする山風の音まで目録に記されはしない。
