
車のフロントガラスを拭くことが以前ほど多くないと感じたことはないだろうか。夏の夜に長距離を走ったあとガラスに張りついていた羽虫の跡、街灯の下を飛び回っていた群れ、窓を開けると入ってきた音。その記憶が薄れているなら、感覚の錯覚だけではない。
デイブ・グールソンが書き、カチ(까치)が2022年に刊行した『沈黙の地球』は、その薄れを正面から扱う。人があまり主役に据えない昆虫を通じて生態系全体の状態を診断する。題名が指す沈黙は、人が聞き取れなくなった音であると同時に、消えた個体数の別の名前だ。
本の調子は落ち着いている。危機を語りながら声を荒らげず、昆虫が果たす仕事を一つずつたどりながら読者を説得する。授粉、分解、食物連鎖の下層。この三つが揺らげば、その上に載ったすべてが一緒に傾くという事実を淡々と積み上げる。
環境をめぐる議論が炭素に集中する間、生物多様性は長く後ろに置かれてきた。排出量はトン単位に換算され目標として設定されるが、消えた種と減った個体数はそのように扱いにくい。この本の有用さはその非対称を狭めるところにある。気候危機と生物多様性の崩壊が、同じ土壌と同じ水と同じ化学物質を共有する一つの問題であることを示す。

炭素中立を語る都市でも昆虫の生息地は減り続ける。芝生だけを残した公園、一晩中ついた照明、隙間なく舗装された歩道。それぞれは管理と安全という理由で作られ、悪意でそうなったわけでもない。意図を責めることはないが、その選択が一か所で出会ったときの結果は残る。
資源循環の観点からも読む価値がある。土の中の分解者が有機物を戻す過程は、人間が作ったどの再利用の仕組みよりも古く精巧だ。その担い手が減れば、肥料とエネルギーをより多く使って空いた分を埋めなければならない。生物多様性の損失が排出量の問題に戻ってくる経路がここにある。
この本の力は規模の転換にある。地球単位の統計を突きつけるかわりに、庭や花壇、道端の草地へ視線を下ろす。大きな問題を前にして無力になりやすい読者に、手の届く大きさの対象を握らせる。終末を告げる本と分かれる地点がここだ。
薄いところもある。個人の実践を強調する記述が長くなり、制度と産業の動き方を変える問題は短く通り過ぎる。庭を手入れする条件がない都市の借家人や、農薬の使用を個別に決められない農家には、提案が遠く感じられることがある。個人の庭と政策をどうつなぐかは読者の役目だ。

それでもこの本はグリーンウォッシングの反対側に立っている。何かを買って解決しろとは言わず、減らす方を勧める。刈らないこと、まかないこと、消すこと。消費を増やさない環境の実践を示すという点で、ほかの環境書とは調子が違う。
本を閉じたあとに目が向くのは庭の片隅だ。刈っていない草地、一晩中つけておいた玄関灯、薬をまかなかった花壇が著者の言う対象のすべてだ。手に取れる大きさなので、かえって先送りしにくい。
その一坪は数週間たつだけで変わった姿を見せる。足元で起きる変化を確かめることが、気候と生態を一つに結ぶ糸口になる。この本はその小さな土地を静かに指し示す。
