
煙突が三本ある。曇った空をまっすぐ押し上げながら画面の真ん中に立ち、高さも間隔もほぼ同じだ。頂部を囲む金属の帯だけが白く光り、胴体は下にいくほど灰色が濃くなる。
色と呼べるものが写真のどこにもない。煙もない。
真昼なのか日暮れなのか見当のつかない光だ。
三つの口がすべて空っぽだという点に視線が長くとどまる。設備は立っていて、稼働は止まっている。発電設備は動かさない日にも維持費と利子を求める。
煙突を三本も建てた側はそれだけの需要が長く続くと見たのだろうし、その見通しが外れるのが遅いほど負担はコンクリートの高さの分だけ積み上がる。化石燃料から抜け出す過程の費用はたいていこういう形で現れる。使われないまま取り壊すには大きすぎるものが残る。
右端をもう一度見る。木の上に頭だけ出した低い建物が一棟、丸ごと足場に覆われている。最初に見たときは煙突に目を奪われて見過ごした部分だ。
一方で火が消えている間に、もう一方では何かが建ち上がっている最中だ。産業転換は閉鎖と着工が同じ塀の中で同時に起こることに近く、この写真はその二つの場面を一つのフレームに入れてある。
画面下の三分の一は木だ。左の茂みが最も黒く、右にいくほど薄くなる。煙突の根元は葉に切られて見えない。あれらを建てた当時、木はこの高さではなかっただろう。
雲の灰色とコンクリートの灰色がほぼ同じだ。三本のうちどれが空を覆った側なのか、もう一度見ることになる。
編集部 · Breath.Culture
