브레스저널 The Breath Journal

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ブランコが掛かっていない場所

편집부·公開 2026-05-01 18:47 KST
霧のかかった公園、骨組みだけ残ったブランコの前で
空いていることも一つの記録だ
空いていることも一つの記録だ / 写真 FURKAN GÜNEŞ · Pexels

霧が公園を半分ほど消した。後ろの木々は輪郭だけが残り、空と芝生の間に白い帯が掛かっている。その前に黒い鉄の骨組みが立っている。二本の横木、八本の脚、そして何も掛かっていない空間。

ブランコの枠はブランコがなくてもブランコの枠だ。座席がぶら下がっていた跡、つま先が触れて土が掘れたであろう地面、順番を待って子どもたちが並んだであろう列が形として残っている。その下に敷かれた舗装は、転んでも痛くないようにと誰かが敷いたものだろう。備えは残っているのに使う人が見えない。

写真の中央、青い服を着た人が一人、道を横切っていく。止まらずに通り過ぎる。遊び場はもともと音で満たされる場所なので、静かになると際立って大きく空いて見える。子どもが減ったせいかもしれないし、塾の時間が遊ぶ時間を押しのけたのかもしれないし、ただ霧のかかった平日の昼だからかもしれない。

都市が子どものために何かを建てるときは、たいてい鉄とコンクリートで建てる。丈夫なので長く残る。だから子どもたちがみな去って骨組みだけが残る瞬間が来る。

残された遊具に罪はない。何のために建てたのかを、ずっと思い出させるだけだ。

画面の右端、フレームに半分切られたまま緑色のゴミ箱が立っている。ふたは閉まっていて、周りに散らばったものもない。アイスの棒やくしゃくしゃになったお菓子の袋がたまるようにと置かれたものなのに、何日も空にする用がなかったかのようにきれいだ。霧に濡れて色だけが濃くなったそのゴミ箱は、ブランコの枠よりも静かに、ここに人が行き来しなくなってずいぶん経つと知らせる。

もう一度写真を見る。あの横木にブランコを二つ掛ければまた遊び場になる。その程度のことだけが残っているという意味でもある。

編集部 · Breath.Culture

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