
日が低く懸かっている。太い幹二本が画面の両側を縦に分け、その間の狭い隙間から日差しが斜めに降り注ぐ。一晩중たまった水気が空中にそのまま残っていて、光の筋の輪郭が目に見える。葉は濃くなる前の淡い緑で、枝は互いに絡み合ったまま上の空を少しずつ分け合っている。
この場面で最も忙しいのは、おそらく音のない側だろう。光が葉に触れる瞬間から、木は空気中の炭素をつかまえて自らの体に変える仕事を始める。写真の中の幹の太さは、その仕事が数十年の間一日も欠かさず繰り返された結果だ。私たちがカーボンニュートラルを語るときに数える炭素吸収量のかなりの部分は、こうして静かに立っているものが代わりに引き受けてきた分だ。
霧は森の密度によって、ゆっくりとも、速くも晴れる。木が密であれば水気はより長くとどまり、地面はより遅く乾き、日陰の下に生きるものは夏を耐える場を得る。一本を伐ることは、一本分の損失で終わらない。光と水と日陰の配分が一度に変わる。
守る方法がいつも大げさである必要はない。紙一枚を減らして使い、木材の出所を一度確かめ、近くの森の道を傷つけずに歩く程度でも、この場面は少し長く残る。写真をもう一度見よう。あの光が通り抜けた隙間は、木々が互いに場所を譲り合ってできた間隔だ。
編集部 · Breath.Culture
