
昨年9月に行われたアップデート以降、ユーザーの反応は即座に現れた。友達リストがグリッド形式に変わり、プロフィール写真が大きくなると、一部のアプリストアの評価は異例の低下を見せた。オンラインコミュニティでは「望まない他人の日常に強制的にさらされる気分」、「業務上保存された人々のニュースまで見なければならないのか」といった声が主流を占めた。
今回の現象の核心は「つながり」そのものではなく「制御できない露出」にある。ユーザーは関係の種類や親密度に関係なく、すべてのつながりに同じレベルで露出されることで心理的負担を感じる。必須のコミュニケーション手段であったメッセンジャーがソーシャルメディアの特性を吸収することで、すべての関係を管理しなければならないという見えない「感情労働」の重みはさらに増した。
このようなデジタル疲労感は個人の問題を超える。すでにヨーロッパでは「つながらない権利」を法制化し、退勤後の業務連絡を制限する社会的合意を形成している。国内でも関連する議論が継続的に行われており、一部の企業は自発的に勤務時間外の通知をブロックするキャンペーンを導入している。これは健康的な「距離を置く」ことが個人の意志だけでなく、社会的・技術的環境の支えを必要とすることを示している。
最終的にプラットフォーム企業は、ユーザーに関係の距離を調整できるより繊細な選択肢を提供する責任がある。通知設定、露出範囲、友達グループ管理機能を強化し、ユーザーが自らデジタル環境を設計できるようにする必要がある。
カカオトークのアップデートを巡る論争は、私たちの社会が効率的なつながりを超えて「健康的な断絶」と「静かなつながり」を渇望しているという信号である。健康的な距離が最終的により健康的な関係を生む。今こそ量的なつながりを超え、質的な関係の深さを考えるべき時である。